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肯定的な感謝

確かに人間として生まれたことに対して、当たり前だと思わないとしても、感謝できているかというと難しい。

 

幼少のころは、小さな虫を見ては、「あぁ人間でよかった」と思うことがあった。

それは死への恐怖からだ。

死というものが恐ろしく、怖く、虫の命の短さを知った時、自らの手で虫の命を絶った時、花を摘んだ時、人間と生まれたことに感謝できた。

 

ただ、その感謝は、死から少しだけ遠ざかることができたことに対する感謝であって、人間だからこそよかったという肯定的な感謝ではなかった。

 

今はどうか?

 

今は人間であるということに感謝できているのか?

 

この時代に、人間だと実感して生きることは、確かに難しいのかもしれない。

人間として生まれてきたからこそ、心のままの生き方を追求したい。

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