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自分で考える

今日は親子論語塾でした。

はじめの書は、「博」。


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お茶席では、布打ちの作業を行う砧をモチーフにした京菓子をいただきました。

座禅では、和尚さんから、座禅を海外ではmeditationと訳されたり、瞑想と混同されて表現されるが、座禅はzazenであり、瞑想やリラックスとは違う。

目の前の壁に穴が開くぐらい、刃物を研ぎすますような、そんな風に行うのが座禅であり、より積極的な行為だというお話。

 

その後、お寺で収穫された柿を食べ、論語塾がはじまりました。



君子は義に喩り、小人は利に喩る。

君子は、どちらが正しいかどうかで判断して行動する。

小人は、自分が得かどうかで判断して行動する。

 

というすごくシンプルな章句。


では、何が正しいことなのか?

その問いに対して孔子先生は、ここでは語られていない。


何が正しいかどうかは、自分で考えなさい。

これが孔子の伝えているメッセージだということ。


大切なのは、ちゃんと自分で考える習慣を身につけ、どちらが正しいかを判断し行動すること。

その結果、その判断が間違いだということに気づくこともある。

そのときどうするか。


過ちを改めざる、これを過ちという。

これもすごく有名な章句だ。

過ちをすることは、人であれば仕方がないこと。しかし、過ちを犯したのであれば、それを反省し改める。もし改めないのであれば、それこそ過ちだ。



つまり、自分でちゃんと考え、正しいと思った方を選ぶ。

もしそれが間違っていたなら、反省し改めればいいのだ。

 

しかし、もし自分が得だからと判断したことだと、それで間違ったときはどうなるか。

反省できないのだ。

だからこそ、何が正しいか考えて判断することが大切になる。

 

2つの章句を繋げ、すごく深い学びを教えていただいた。


京都の冬はすごく寒かったが、お寺の境内の庭先で太陽の光の変化と温かさを感じながらの論語塾でした。


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