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執筆者の写真yamashina shigeru

自分と違うものを傍に置く

違いに対峙し考え続ける旅人 Vol4


職業人生のスタートが中国で、かつ、中間管理職だった小島量子さん。

その後、なんどか転職を繰り返すが、常に組織やチームと向き合ってきた。

そんな小島さんのど真ん中名刺づくり。

前回からのつづき。



好奇心がありますか?

自分は違う文化に触れた経験があるからこそ、

「なにこの考え方?」「どうしてそう考えるの?」

という好奇心をもつところからはじまった。



なぜ好奇心をもたない人が多いのだろうか。


日本の社会の中だけ、ひとつの会社の中だけで過ごすということもあるとは思うけど、私の場合は「血」が大きく影響していたように思う。


両親の血が全然違っていた。


 父親は本能のままに行動する血

 母親は周りを考え調和する血


父親と母親は、なんでこんなに違うのかと常に思っていた。

お互いはそれぞれ尊敬しあっているが、二人の間に生まれた私はどうしたらいいのだろうと。

いつも狭間にいた。


海外勤務を経験したときも、日本と海外で違うものに挟まれて生きていた。


自分が本当に心地よいものは、たとえば孔子の言葉だったり、中国の歴史だったり。

ところが、イザベラ・デステの「夢もなく、恐れもなく」という言葉や現実主義にも興味を抱く。



(イザベラ・デステ)



この違いはなんだろうと、考えて生きてきた。

何か自分の考え方と違うものと対峙しながら生きる

それによって自分の考え方がはっきりするのは確か。


好奇心を抱き、いろんな違いにまずなんでだろうと思考を続けてきた。


小学生の時から、両親の血の違いについて話題にしていた気がしている。

そこから行動し始めたのは高校から。


自分を理解するには自分と違う価値と対峙する必要があるのかもしれない。



イザベラ・デステの言葉は、夢も恐れが両方ないということではなく、夢も恐れもあるが、そのちょうど真ん中に来ている状態。

当時の現実主義の言葉。


私自信は、孔子の恕の世界が好きなのにも関わらず、名刺に何か写真をのせようと考えて選んだ写真が、イザベラ・デステの写真や言葉。


ずっと一生比べながら、この違いはなんなんだと、思考を深めていくことが好きなのかもしれない。

敢えて自分と違うものを置いておくことで、考え続けることができるのかもしれない。


つづく。

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