今年から始まった勉強会
みたらしソース部(仮)設立準備会(2)
前回の動画では、みたらしソース部(仮)でなぜ勉強会をしていきたいと思ったのか。
その動機となった新しい組織のあり方についてプレゼンさせてもらった。
▼こちら
今回はそのつづき。
百姓
百の姓がある生き方
百姓の生き方が大事なのではないか。
視点を俯瞰して考える。
たとえば自分が赤だとする。
赤はソースだ。
赤にとって自分と深く繋がってくれている青は、赤にとってのサブソースである。
しかし青の立場で考えると、青は青でフィールドをもっていて、青にとって赤がサブソースになる。
つまり俯瞰してみると立場が逆転するというか、ソースがサブソースになる、サブソースがソースになる。
自分がど真ん中だとして生きるだけではなく、自分もだれかのサブソースであるということを自覚して生きる。
すると自然に、自分の仕事は百になるのではないか。
百姓になる。
①まずは自分自身がど真ん中を生きる。
②そして信頼できる30~150人規模の仲間を大切にして生きる。
③そこでとどまらず、自分も誰かの150人の一人であることに喜びを感じ、多様な価値の中で変容を受け入れて生きる。
この価値観を常にもっている組織を作りたいという欲求がある。
そのためには会社の中でこの関係性をつくることにこだわるのではなく、自分にとってコアな30人は誰なのかを考えることがとても大事なのではないか。
そして、その30人をいかに結び付けていくかを考えていくこと。(クラスター係数を上げる)
もうひとつは、自分も誰かの周辺にいることを自覚して関係性をつくっていく
これができていくと、現段階の理想の組織ができていくのではないか
すると、こだわりが消えるではないか。
ここに、「ソース原理」が入ってくるとどうなるか。
この理論をベースにした組織改革をやりたいという組織やチームがあれば、やりたい。
(藤森文子)
なぜこだわりが消えるのか。
たとえば真ん中が社長だとしたら、社長がソースであり、社員がサブソースとなる。
でも、社員からすると社長がサブソースな可能性がだってある。
そうなると、そこには人と人との関係性が残るだけで、ピラミッド型のような、「この組織を強くしなければならない」「守っていかないといけないとか」など、会社を持続していくための工夫が必要になってくる。
しかし、実際は、自分が30~150人のコミュニティとどう繋がっていくかのほうが大事で、その逆もあるということを素直に理解していくことで、「こうしなければならない」というこだわりがなくなっていくような気がする。
ただ、これまでの社長の心理からすると、むちゃくちゃ恐怖な可能性もある。
自分は何をすべきなのかが分からなくなる。
(佐藤智絵)
一度新しいものをつくろうとすると、一度壊して結び直そうとしている気がした。
見える景色が違うだけで、人としては対等なはず。
そして人それぞれいろんな顔をもっている。
それを尊重できるのかは大切な気がする。
(藤森文子)
いままでは役割が固定されていたことが双方向になる。
多元的な感じがする。
流動的、柔軟になる。
そうなると「私とは何か」が分からないと、生きづらくなる可能性があるなと。
自分を知る、自己理解が深くないと溺れちゃうなと感じた。
(横山純子)
笑顔
つづく
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