朝活大学素読会ありました。
3巡目が始まったところ。
今回も大学の要の部分を復習しました。
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の國を治む。
其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を齊う。
其の家を齊えんと欲する者は、先ず其の身を修む。
其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しうす。
其の心を正しうせんと欲する者は、先ず其の意を誠にす。
其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。
知を致すは、物を格すに在り。
明徳を明らかにすること。
そのはじまりも、「格物」なのかもしれないと思う。
物を格す(ものをただす)
伊與田さんの解説には、「物」の一番基本となるのは、「自分」であると書かれてある。
つまり、「物を格す」とは「自分自身を正す」ことになる。
ぼくがオーナーを務めるコミュニティスペースLiTa Studio ELABOの会員のための行動指針がある。
そのひとつに
「自分のアートに目覚めよう」
という言葉がある。
これは、何か他人に施そうと思ったとき、どんなことでもお手伝いするということではなく、自分のアートは何か…、つまり、自分が得意だと思えること、自分の心が喜ぶことは何か、自分の特性は何か、をしっかり理解することから始めようという意味として使っている。
「自分自身を正す」ことと「自分のアートに目覚める」ということは、少し似ているように思う。
自分にある「種」は、どんな特徴の種なのかを理解し、それを育て、花を咲かせる。
明徳を明らかにすることにつながる。
この「格物」の重要性に気づくことができた。
昔の明徳を自分だけが明らかにするのではなく、天下に明らかにする。
それによって平安をきたすことを望むなら、まず自分の国をしっかり治めよ。
自分の国を治めようと思うなら、まず自らの家(親族一同)をよく斉えることだ。
自分の家を斉えようとするなら、まず自分の身を修めていくことだ。
自分の身を修めるためには、まず内なら心を正しくすることだ。
心を正すためには、外に表れる意(喜怒哀楽)を正常にすること。
その意を誠にしようと思えば、我々に生来与えられた知(良心・良知)を極めることだ。
その知を極めるには、自分自身を正すことだ。
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