マザーツリー 森の隠された「知性」をめぐる冒険 スザンヌ・シマード 著 読了
森の木々たちが土壌の中の菌根菌ネットワークを通じて繋がりあい、情報伝達しているだけでなく、実際に炭素を送りあっている。 その事実と、そこから見えてくる考察。 それを長年の研究の中でどのように解明してきたかというストーリーだ。
幼少時代の経験、大学時代のアルバイトからはじまり、仕事、結婚、子育て、離婚、病気、和解と、自分の人生と森の研究がひとつの物語として語られている。
その中で、たどり着いたこと。
木も草も生きていると認めることから始まる。 彼らは物事を認識し、共感し、伝え合う、そして行動する。協力し合い、判断し、学び、記憶する。 私たちが、感覚性、叡智、知能と呼ぶ性質を彼らは持っている。 木々、動物、菌類、…人間以外のありとあらゆる生き物が、そうした性質を持っていることに気づけば、人間が自らに与えるのと同じだけの敬意が彼らにも与えられるべきであることがわかるはずだ。
一つの生き物、一つの森、一つの湖を傷つけることで複雑なネットワークの隅々にまで影響を及ぶこと。 それは本来のバランスを取り戻すこともできること。 一つの生き物を不当に扱えば、それはあらゆる生き物を不当に扱っていることになる。
人間以外の地球上のすべての生き物は、私たちがそのことを気づくのを、ずっと辛抱強く待ち続けている。 この変革を起こすには、人間が再び自然と、つながることが必要だ。
では、自然とつながるとはどういうことなのか。 これはすごく大きな問いだ。
また、本のタイトルにあるように、森には「マザーツリー」と呼ばれる、古い大きな木がある。
このマザーツリーが、菌根菌ネットワークのハブとなり、多くの小さな木々や小動物に住処と栄養を与え続けている。 このマザーツリーが傷つき、朽ちようとするとき、できるだけ多くの炭素と情報を子孫に残す行動をとる。
その生き様をみたとき、著者は、では人間の人生の目的は何かを考える。
人間が死ぬときの目標は、「精一杯バトンを渡すこと」なのではないか。
これはすごく示唆に富んだ答えだ。
すごく誤解を恐れずに語るのであれば、東洋と西洋の融合についてだ。 ぼくらの豊かな生活の基盤を支えているのは、明らかに西洋哲学から発達した科学の力だと思う。
とはいえ、先住民族の物語の中には、当たり前のようにマザーツリーの存在が語られていた。それは1000年以上前から、そうなのかもしれない。
ぼくらの世界では、木の市場価値と、効率化、単一化、幻想の中で、我武者羅に木々を伐採してきた。 その中で著者のような一部の研究者が、実際の森の暮らしとの違いから疑問を呈し、探究していく。
それはすごく厳しい道であり、どこまでも受け入れられない。 そこには権威、権力、お金の力が取り巻いている。
時間もかかる。人間ひとりの生涯で研究できることも少ない。
その強い力を押しのけ、科学の力で新しい事実を突き止めていく。
そうやって「マザーツリー」の存在を明らかにしていく。
そしてたどり着いた答えが、「人間の生きる目的は、精一杯バトンを渡すこと」。
これは何を語っているのだろうか。
すごく、すごく遠回りをしながら出逢った事実であり、東洋と西洋がつながった瞬間のように思う。
年末に、同様な話を聞いた。 東洋哲学でたどり着いた解と、西洋哲学でたどり着く解。 1000年以上前からわかっていたことを、1000年以上かけて理解する。 この時間差をどうにかしたい。
それには、東洋哲学と西洋哲学の両方の視点をもち、両方からアプローチしながら問題を解決していく思考が必要となる。
これをしようとすると、言語の壁と文化の壁が存在する。
もしその壁を一番破りやすい立場にいるのは、日本ではないかと。
地理的な要素、中国文化の影響を受けつつ、漢字の理解ができているうえで、積極的に英語や西洋文明を取り入れようとしていること。
その上で、どちらかだけを選択することはなく、お互いのいいところを融合させて、矛盾なく社会に適合していく風土。
自分が日本人だからそう思うということもゼロではないが、本当にそうだなって思う。
どんなバトンを渡したいのか。
ど真ん中エディットワークでも、大切なテーマとしてみんなに考えてもらっているテーマだ。
マザーツリープロジェクト
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