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見えない失敗

更新日:2020年5月3日

已んぬるかな、 吾未だ能く其の過ちを見て、 内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり。

ああ、もうだめだ。

しかたがないなあ。

自分の過ちに気づいて、自分を心の奥から責め、反省する者を、私はまだ見たことがない。

(「実践・論語塾」安岡定子著)


ど真ん中名刺のワークショップでは、参加者の約半数が名刺を完成させることができる。

名刺が完成するまでの行程を一緒に歩むことは、とても充実した日々である。


その自分にとっての成功体験の裏には、同じ数の失敗体験が実はある。

つまり、名刺を完成した人と同じ人数が、途中で名刺の完成を断念しているのだ。

その失敗体験にスポットが当たることは、ほとんどない。


なぜ名刺をつくることをしなかったのか。

そこに、自分の落ち度はなかったか。

説明不足や誤解を招く行為はなかったか。

作れないのは相手に問題があると、相手の責任にしていないか。


「今作るタイミングじゃなかったのかな」

と行儀のいい言い訳で自分をごまかしていないか。


成功体験の裏には、必ず無数の失敗体験がある。


それを慮ること。

仮説を立て、考えること。


これは「仁」にも通じる。

言葉や行為に現れない見えない部分からのメッセージを受取ること。


自ら省みるとは、現実的な失敗ではなく、目の前には表れてない失敗と、心を向き合えるかどうか。

そこなのだろう。


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