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視点を増やしていく。

更新日:2023年12月2日

今朝は、朝活大学素読会でした。


所謂身を修むるには、其の心を正しうするに在りとは、身忿懥する所有れば、則ち其の正しきを得ず。

恐懼する所有れば、則ち其の正しきを得ず。

好樂する所有れば、則ち其の正しきを得ず。

憂患する所有れば、則ち其の正しきを得ず。

心焉に在らざれば、視て見えず、聽きて聞えず、食いて其の味を知らず。

此を身を修むるには、其の心を正しうするに在りと謂う。


引き続き、前回からの続きになります。


身を修めるには、まず心を正しうするとはどういうことなのか。

たとえば、身体が震えるぐらいの怒りがあるときは、正しい判断できないですよね。

また相手のことを恐れている状態でも、正しい判断はできない。

はたまた、何かに偏って好楽している状態も、正しい判断はできない。

誰かを心配し心を痛めている状態でも、正しい判断はできない。

心がここにあらず、散漫していれば、真実は見えず、真実は聞こえない、食べてもその味がわからない。

ゆえに、身を修めるには、その心を正しくしなければならない。



伊與田さんが解説されている本には「身=心の存する肉体」という説明がある。

そう考えていくと、格物致知~平天下までの道のりというのは、単に規模の円が大きくなっていくだけなのではなく、ひとつ階層を上がるごとに、視点が増えていくことなのかもしれない。

 

格物致知までは、0から1へ。

何もないと思っているが、生まれながら頂いている良心、良知の存在に気づくこと。

 

誠意正心では、1から2へ。

身体とは、カタチとして見える肉体と、見えない心の二つがある。

まず、良心・良知の声に耳を傾けることで、意(自分の内面から沸き起こる喜怒哀楽)を素直に表現できるようになる。自分に正直になるということ。

次は、自分だけの内面のテーマから、自分と相手との関係性の中で生じる心の変化について言及される。

相手との関係で生じる心の変化(怒・恐・好・憂)が落ち着いてくれば、身体が修まるようになる。

 


今回はここまでだったが、その続きに関しても、視点と視野のポイントが増えていくことになる。


修身斉家で、2から3へ。

斉家となると、自分と相手とそれに影響される第三者の存在といった3つの視点として書かれてある。まさに一番身近な家族との関係性。


0~1へ、1~2へ、2~3へ。

関係性が増えていくことで、大切にしなければならないことも変化していく。


それは次回になります。

楽しみです。

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