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言、仁、実践

更新日:2020年5月3日

古の者に言に之出(いだ)さざるは、 躬(み)のおよばざるを恥ずればなり。

昔の人が何事につけても軽々しく言葉に出さなかったのは、自分の実行が言葉に伴わないのを恥じたからだ。

(「実践・論語塾」安岡定子著)


言葉と実行が伴っている人間であるかどうか。

人の評価の基準は、そこなのだろう。

そしてその実行に仁はあるか。

それも論語では問われる。


言、仁、実践

この3つのど真ん中を生きる。


だからこそ、言葉を整える。


ど真ん中名刺に、どんな言葉を添えるか。

それは、とても大事な選択となる。





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