「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」
The Power of NOW
A Guide to Spiritual Enlightenment
飯田史彦監修
エックハルト・トール著
あさりみちこ訳
毎朝5時からの音読会
第6章 うちなるからだ「インナーボディ」
第2節 言葉の奥にある真実をつかむ
洋治さんの解説が、とても印象的で、これはすごく大切なテーマだと思い、忘れないうちに残そうと思う。
まずは、解説を聞く前に感じたこと。
「思考と自分の同一化」のテーマは、これまで何度も取り上げられてきた。
ただ、これまでは思考とは、ある程度のまとまった考え、思考の癖のようなものや、知識や経験の蓄積からくる世界観とか、それに伴う判断だったり…、最低でも原稿用紙3枚程度ぐらいの内容のことを「思考」だと受け取っていた。
しかし、たったひとつの単語を使うことに対しても、思考と自分の同一化があることに気づかされた。
ひとつの単語(罪、神、お金、家、とか)に、その人のこれまでの人生の価値観を投影することを考えると、それはそうなのだが。
ある言葉が自分にとって都合が悪いのなら、その言葉をさっさと捨てて、自分にとって都合のいい言葉に置き換えればいい。
そういったアドバイスが書かれてある。
「ネガティブの思考から判断した行為は、結果的にうまくいかない。」
と、以前別の箇所で紹介されていた言葉にも通じる。
ふと思い立った事例を紹介すると。
①ぼくがオーナーとして運営しているコワーキングスペースを、コロナ禍で利用していただくことができなくなり、コワーキングスペースからスタジオという言葉に切り替えたこと。
②印刷会社で養蜂を始め、ハチミツを販売することを考えたとき、お金のやり取りだと、養蜂を始めた想いから離れてしまいそうで、お金ではなく物々交換でお渡しすることに決め、「はちみつうか」(ハチミツ×通貨)という名称にしたこと。
③ぼくの周囲で広がっている「トーキョーコーヒー」。登校拒否をネガティブに捉えず「今日はゆっくり、トーキョーコーヒーでもしようか」と親も子も肯定的に捉える。
しかし、今回の箇所は、実は翻訳されていない内容が結構あり、それも含めて洋治さんが解説してくれた。(以下、洋治さんの言葉から抜粋。「問い」と「答え」は、理解しやすいようにぼくが加えただけです)
問い 「罪」を「無意識状態」という言葉に言い換えたとしても、何か間違っているということを言われているようでどこか引っかかる。
答え もちろん、あなたの中で何かが間違っているんですよ。
問い なぜそんなふうに裁かれなければならないのですか。
答え 無意識というのは、決していい状態ではないのだ。解釈の問題でもない。
ただ、それをダメだと思ってみるのではなく、ただ見つめるのだ。
問い けど、世界の中をよく見てみると、絶望があり、渇望があり、暴力があり、そういうものがあらゆるところに浸透している。
残虐性や苦しみが、考えられないスケールで、自分自身に対して、他者に対して、繰り返し行われている。
答え これはダメだという必要はないけど、明らかに無意識であり、おかしい状態だ。
ただそれは、見つめるだけでいい。
「それもひとつのあり方ですよね」っていうことではない、無意識だ。
この無意識は、変わっていくべきところなんだ。
問い それも、ありのままなんではないか。
答え いや、違う。私たちの苦しみであり、影である。
けれど、それをジャッジする必要はない。
それは変わっていく何かだよ。
その認識だけは、最後まで残るよ。
なぜ私たちは言葉にこだわるのか。
それは、自分を守ろうとするからなのではないか。
「自分」というのは、ほんとうの自分ではなく、自分が自分だと思っている自分、傷つきやすい自分、痛みを感じる自分。
それだけがほんとうの自分ではない、そこにどう気が付いていくか。
問答のポイントをまとめると。
「私がまちがっていると、言われているような気がする。」
もちろん。
でもそれは裁くことでないが、何かおかしいということが起こっていることは間違いない。
それはなぜ起こっているのか。
それは、自分の思考と自分を同一化しているからであり、世の中のありとあらゆる大変なことが自分の中でも起こっていることに気づくこと。
その一番の原因は、思考と自分の同一化からはじまっている。
ダメだとおもう必要はないが、いいことではない。
この解説の中で、心に刺さったのはここ。
なぜ私たちは言葉にこだわるのか。それは、自分を守ろうとするからなのではないか。
ここは、僕の中での大きな課題であると同時に、創造の源でもある。
きっと、これはまだ少しの間、このテーマで対峙することがあるのだろう。
一番最近の出来事だと、駄菓子屋でお金が盗まれるという出来事が起きた。
これをどう受け取り、どう解釈し、どう解決するか。
そこに自分にどんな課題があるのか。
それを考えている時、ずっと、このテーマに向き合っていた。
正確にいうと、自分から逃げる方法を考えていたのかもしれない。
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