故人の言行を残すことの大切さ。
それを考えると、今自分が、自分の言葉を語ることができているのか。
そこがとても重要な気がした。
たとえば、志。
志とは何か?
実は、先日、ど真ん中の仲間に質問された。
「志を子どもたちに伝える場合、どんな言葉に言い換えればいいと思いますか?」
そのとき思い出した。
そうだ!親子論語塾で先生が子ども達にちゃんと志とはどういうものなのかを語ってくれていたことを。
聞いた時は、すごく感銘を受けた記憶がありブログにも書いたはずなのに、自分の言葉になっていない。すぐに思い出せない。
それは、まさに自分の言葉になっていなかったからだろう。
もうひとつ。自分が素直でなかったからだ。
自分はこう思う。先生はこう言う。
確かに先生の言葉に共感した。でもなぜか自分の意見をよしとし、いつの間にか先生の言葉を忘れてしまっていた。
これでは、自分の言葉をもっているとしても、そこに柔軟性もなく、ひとりよがりの言葉になってしまっている。
自分の言葉で語るということは、思いと言葉と行動が繋がっている状態であることが大切なのだろう。
たぶん、あのとき教えてもらった先生の言葉を忘れてしまうということは、言動が一致できていなかったからだ。
だからこそ、自分の言葉を語る、それを残すということは、思いと行動も残すこととなり、その歩みが、また次の人の言葉へ繋がっていく。
故人の言行を残す。
あの故人は、何を考えていたのか。
その一端に触れる。
これは例えば残された子どもにとっては、必ずや宝となるに違いない。
文字を手に入れた人間だからこそ、何気ない一人の人間の言行を後世に残すことはできる。それは決して無駄な行為ではない。
ひとつの文字。
ひとつの単語。
歴史は言葉で作られる。
志とは? 1、将来こうなりたい!と心で強く思ったことか。 2、そこに私利私欲はないか。 3、自らの心で思ったことか。
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