目の前で起こるひとつひとつが繋がりを持ち始める不思議な感覚。
今学んでいる行動科学研究所のエンパワーメントベーシックコース。
地域の中で子どもたちを育む新しい価値を生み出そうとする活動のお手伝い。
何度も失敗を繰り返しながら、諦めず、喜びに満ちた組織を作るためのお手伝い。
組織の欲求と個人の欲求をどう調和させるか、そのためのルールについてのお手伝い。
自社の中で、今起きている社員が退社することによる混乱。
今読むことになった本。
なんだか全部繋がっている感覚です。
「能力」の生きづらさをほぐす 勅使河原真衣 著 読了
社会や、会話の中で使われる「能力」ってなんなのさっていう話が続きます。
「能力」という言葉の裏に存在するもの。 なんのために「能力」という言葉が使われるのか。 「能力」は誰が判断するのか。 その判断は、常に正しいことなのか。
能力には、評価基準が存在し、評価基準があることで、障がい者が生まれる。 しかし、その評価基準は絶対的なものではなく、社会の慣習または、属している組織の風土に強く影響されている。
にも拘わらず、評価された結果は、個人の責任として付加される。
社会が急速に変化していくとき、その評価基準は正しいのだろうか。
「能力」は個人のものか、環境や関係性の中で評価されるものではないか。
そんな哲学的な問いを投げかけてくる本だった。
最後に紹介されいた言葉が心に残る。
置かれた状況と自らの関わり、その関係性の内部で動き、それによって引き起こされる変化のなかで生き直すことを許容すること。 それが、「なかったことにしない」人生だ。 人類学者 磯野真穂
人生で大切なことは、ひとりで能力を高めていくことではなく、今自分が置かれた状況と、人との関係性にある。 その関係性の中から起こる内面の変化、感情の変化、影。 その変化をしっかりと観察し、許容していく。 許容した上で、だったら自分は何を選択し、行動していくのか。
評価があることを前提とした「能力」ではなく、この「許容するための体力」こそ生きる力に繋がるのかもしれない。
そして、著者がこの本に託した想いはなんだろうか。
単に子供たちへのメッセージではなく、心から社会の変容を望んでいるように感じる。
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