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執筆者の写真yamashina shigeru

誰の物語なのか。

更新日:2020年3月30日

人にして遠き慮り無ければ、 必ず近き憂い有り。

もし遠い先まで見通す深い考えがなかったら、必ず足元から思いがけない災いが起こってしまうものだ。

(「実践・論語塾」安岡定子著)


今の時代、近い未来を予測することも儘ならない。

けれども予見はできる。

それは2つの法則から導きだせる。

田坂広志さんの言葉だ。


 事物の螺旋的発展

 対立物の相互浸透


昔流行したものが一度衰退するものの、アップデートしてまた世に普及する。

相反する対立しているものは、お互い追求し続けると、最終的に同じ価値感に近づく。

世の中はこの原則に従いつつ生成発展しているというものだ。(ぼくの解釈)

この2つの視点をもつことで、未来を予見できる。


ただ、予見したことをどう解釈すべきか。

この解釈力こそ重要なのではないか。

解釈をする上で、最も注目すべきポイントは、2点あるように思う。


①そこに仁(思いやり)はあるか。

②誰の人生の物語なのか。


先を見通し起こるかもしれない現象をどのようにとらえるかは、結局自分次第である。


人は誰もが、未来を憂い、悩む。

世の中にとってはハッピーなことかもしれないが、自分にとっては悪いことかもしれない。

どう認識するか。

それは自分の心次第なのではないか。


そこに愛はあるのか。思いやりがあるのか。

そして、誰の人生の物語であるのか。

自分の物語と誰かの物語をはき違えることなく、自分の心と目で何を感じるか。


そこが大事になってくる気がする。


その軸が定まっている人間であれば、予見して起こるであろう現象が、本当に起きたとしても、また、起きなかったとしても、自分を生きることができるのではないか。


ど真ん中を生きる。

志をいだく。


そのときに、予見する、世の中を俯瞰する。

その力を養うことは重要だ。


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