人にして遠き慮り無ければ、 必ず近き憂い有り。
もし遠い先まで見通す深い考えがなかったら、必ず足元から思いがけない災いが起こってしまうものだ。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
今の時代、近い未来を予測することも儘ならない。
けれども予見はできる。
それは2つの法則から導きだせる。
田坂広志さんの言葉だ。
事物の螺旋的発展
対立物の相互浸透
昔流行したものが一度衰退するものの、アップデートしてまた世に普及する。
相反する対立しているものは、お互い追求し続けると、最終的に同じ価値感に近づく。
世の中はこの原則に従いつつ生成発展しているというものだ。(ぼくの解釈)
この2つの視点をもつことで、未来を予見できる。
ただ、予見したことをどう解釈すべきか。
この解釈力こそ重要なのではないか。
解釈をする上で、最も注目すべきポイントは、2点あるように思う。
①そこに仁(思いやり)はあるか。
②誰の人生の物語なのか。
先を見通し起こるかもしれない現象をどのようにとらえるかは、結局自分次第である。
人は誰もが、未来を憂い、悩む。
世の中にとってはハッピーなことかもしれないが、自分にとっては悪いことかもしれない。
どう認識するか。
それは自分の心次第なのではないか。
そこに愛はあるのか。思いやりがあるのか。
そして、誰の人生の物語であるのか。
自分の物語と誰かの物語をはき違えることなく、自分の心と目で何を感じるか。
そこが大事になってくる気がする。
その軸が定まっている人間であれば、予見して起こるであろう現象が、本当に起きたとしても、また、起きなかったとしても、自分を生きることができるのではないか。
ど真ん中を生きる。
志をいだく。
そのときに、予見する、世の中を俯瞰する。
その力を養うことは重要だ。
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