朝活大学素読会
詩に云わく、樂只の君子は民の父母と。
民の好む所之を好み、民の惡む所之を惡む。此を之れ民の父母と謂う。
詩に云わく、節たる彼の南山、維れ石巖巖たり。
赫赫たる師尹、民具に爾を瞻ると。
國を有つ者は以て慎まざる可からず。
辟すれば則ち天下の僇となる。
ゆったりと楽し気な君子は、民の父母。
民の好むところを好み、民の憎むところを憎む。
石が積み重なった南山をすべての人は仰ぎ見る。
周の国の大師に同様に優れた人がいて、民は彼を仰ぎ見る。
国を有つ君子は慎まなければならない。
私利私欲に偏ってわがままになると、国は亡ぼされ、大きな辱めを受けることになる。
とくに難しいことが書かれてあるわけではない。
しかし、すごく大切なことが書かれてある。
前回の箇所を少し振り返ると、
天下を平らかにするには、まず国を治めることとはどういうことか。
このテーマの続きである。
国を治める君子には「絜矩の道」がある。
君子にとってのど真ん中なコミュニケーション術というものがあるのではなく、上下前後左右の相対的な関係の大切さが書かれてあった。
その上で、民の父母となることが大事なんだと。
個人的な好き嫌いを超越し、民の喜ぶことは何なのか、憎むことは何なのか。
そのことを常に考えて向き合っていく姿が書かれてある。
個から公の立場への覚悟だ。
そして、責任と影響力についてだ。
君子が好む好まざる関係なく、大きな責任と影響力を手に入れることになる。
これは逃れられることはできない。
そして、壮大な山のように多くの方から仰ぎ見られ尊敬される存在になる。
その裏には、責任と影響力がある。
つまり、私利私欲に偏ったり、慎むことを忘れてしまえは、国は滅び、自らの命もない。
それほどの影響力があることを忘れるな。
少しの気の緩みが、すべてを無に帰すことにつながる。
これは、その立場にならなければ分からない厳しさを伝えているのだろう。
それでも国を治め、天下を平らかにしていくのか。
そういった問いかけだ。
Comentarios