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走ることと、下坐行

第22講 下坐行


下坐行とは、自分を人よりも一段と低い位置に身を置き、その地位に安んじて、わが身の修養に励むこと。

これは人間を鍛えていく土台としての行となる。



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以前、一度この講を読み、やりはじめた行がある。

下坐行が何のために大切なのか、その意味を忘れていたことに気づいた。


さて、本筋からズレるかもしれないが、

「走ること」

「走れる身体をつくっていくこと」

これは下坐行に近いなと思えた。


身体の声を聴き、心の声を聴き、走る。

一日の中に、走る時間を選択する。


年齢的にも放っておくと、体力は衰えていく中、走ることを取り入れていくこと。

その行為は、心を謙虚にしてくれる。

社会の中での立ち位置もゼロに戻してくれる。


下坐行という言葉を使うには、あまりにも贅沢な行のように感じるが、今は、「走る」ことがそれに似ていると感じた。

 

10年後、20年後。

今と同じように走ることができていれば、それが下坐行と呼べるのではないか。


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