かんばん書き Vol2(動画はvol3)
かんばん書きの川田真紀さんと、ど真ん中名刺をつくるための対談動画。
前回からの続き。
願いをかたちにして 表現する道具となる 「まきあど」
なんと材で 森を守り 水を守る 「なんときくばりプロジェクト®」
桜花らんらんまごころを込めて 「善徳おかいさん」
みんなが社会とゆるくつながる 「あそびば」
などなど、数多くの活動をされている川田さん。
すべての活動は、どう繋がりあっているのか。
本業は「看板屋」
では、その仕事の本当の意味は
願い、祈りを形にして、表現することの道具になる
看板屋の仕事は、そんな願いや祈りとまで言えることはないかもしれないけど、伝えたいと想う人がいて、それを表現すること。
そこにある願いは、私の願いではない。
共感はするが、誰かの代弁であり、自分は意見や提案はするが、道具としてお客様の願いや祈りを表現できたらいい。
道具になるということは心地いいのか。
「利用される」みたいな感じではなく、自分の意志のないものとしてそこに居たい感じ。
操作するのではなく、「使ってください。私を介して表現してくれたらうれしいです。」みたいな。
一般的に看板屋も含めて、クリエイティブな仕事をしている人たちにとって、自分の個性を出したいという欲求はあるはず。それがなぜ、「道具になる」という想いに至ったのか。
ある民芸の職人さんの本の影響かもしれない。
その職人さんは、周りから評価されているが、謙虚に自分は職人だからアーティストとは違うと言われていて、それがかっこいいと思えた。
民芸は、自己表現をしない姿勢の職人さんが作られらた用の美。
主張はしていないけど、佇まいや、使われている間に見えてくる美しさ。
職人さんの物づくりの美しさは、俺をだしてやろうと思ってないはず。
たとえば、ペン。
いろんなペンはあるが、すべてに共通する美しさがあるはず。
そこを狙っていくみたいな。
それは、アーティストの個人的表現ではないはず。
看板も同じ。
交通標識などは、もっとおしゃれに、もっと目立つようになど、いろいろできるけど、みんなが見て不快ではなく意味がわかること。
みんなの共通項である美がかっこいいと思える。
看板屋のニーズは、そういうところがあると思う。
つづく。
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