人にして遠き慮りなければ、 必ず近き憂い有り
遠くのことまで見通して身の回りのことに気を配らなければ 必ずすぐに問題が起こることになりますよ。
いたって当たり前のことを言ってるように思えて、実際できているかどうか自分に問うにはとても大切で必要な言葉だ。
孔子は、ではどうすべきかという手段を語らない。 それは自分で考えなさいと。
「遠慮」の語源になっている章句。
今つかっている遠慮の意味と少し違うニュアンスになっている。
遠くまで見通す力のことも「仁」だ。 仁は論語の中で、もっとも中心的な大切な考えで、「思いやり」である。 では思いやる心を実践でカタチにしようとしたとき、どうしても遠くまで見通す力が必要となる。
少し先を予測、予見できるからこそ、思いやれるのだ。
また、夢や目標を立てるということも、遠くまで見通す力だろう。 5年後、10年後になりたい自分がある。
であればこの1年をどう過ごすか、今日という一日をどう過ごすか。 それを考えていかないと、問題が起きるよと。
今、この一瞬を大切にする。 ということと、 今が楽しければいい。 ということは全く別物。
遠くを慮り、今を生きることの大切さ。
一眼は遠く歴史の彼方を そして一眼は脚下の実践へ 森信三
ぼくの大好きな言葉だ。
今回論語塾では、 「人にして」というところが大事だということを教えてもらった。
人にして。 つまり、人間として生まれたのであれば当然そうだ。 そんな意味が込められている。
人間としてせっかくこの世に生まれたのであれば、当然、夢をもち、目標を立て、志を抱いて生きること。 それこそ、人間以外ができない大切な機能だ。
その機能を存分に発揮して生きる。 将来こんな人間になりたいんだと。
その想いを実現するためにも、今日何ができるのか。
遠きを慮る。
書:蓮花
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