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重陽の節句

重陽の節句


母がポストイットに書いた言葉が机に貼ってあった。

9月9日は、重陽の節句。


「これなんて読むんだったかな。じゅうちょう?」

「さっき勉強したばかりなのに、すぐ忘れてしまう」

「学校出てないから、何もわからん」


母が、よく学校をでていないということを嘆く。


「頭いい人と会話するときは、緊張する」



母は高校に進学できなかったことをずっと悔やんでいる。

中学時代、成績もスポーツも優秀だったそうだ。


「お兄ちゃんとお姉ちゃんがいて、そこに教育費を充てないといけないから、あなたは就職しなさいと」

「先生から、いろんなところの就職先を斡旋してもらったのだけど、どれも嫌だった」

「みんな進学するのに、わたしばっかり・・・」


当時の高校進学率を調べてみた。

1950年代は男女とも高校進学率は60%台。

それが、1960年に入ると、一気に80%に上がる。


母が15歳の時は1958年。

時代が大きく変化したであろう時期を過ごしたことになる。



幼少のころから、今まで、母とウマが合わないとずっと思っていた。

ぼくの心が揺らぐのは、母の二面性だ。


これはどこかでブログに書いたように思うが、、。

お客様の前だと、頭の回転が速く、常に相手が言葉にする前に、相手が何を言いたいのかを察知し、その先をいく回答を提示する。さらに、そこにユーモアを織り交ぜながら。

その物怖じしない強さと愛嬌で、営業として会社を大きく成長させたのも母の力だ。


それが家庭になると、一気に、「私は無知で学校もいっていない」モードになり、会話が全く通用しなくなる。


なんかそういうギャップを子ども時代から何度も経験してて、それがぼくを不安にさせていた。

ほんとうの母はどっちなんだ。


思考を「ほんとうの自分」だと勘違いしてしまう。

頭の良し悪し、どちらかというと、進学先の良し悪しが、自分だと。



ひょっとして、ぼくは、母のペインボディを母だと思い、母もペインボディを自分だと勘違いし、、、その母の強いペインボディと会話していたのではないか。

そういった会話は、全然会話として成立しないのだ。


成立しないというか、母のペインボディと会話が始まると、自分のペインボディも姿を現し、ペインボディ同志の会話が始まるって感じかな。

すると、なんか居た堪れない感情が生まれ、対話が切れる。

その場から立ち去りたいと思う。


居た堪れない。

いまに在ることができない。


 

 

感情を観察する。


重陽の節句、9月9日は、長女の誕生日である。

結婚記念日でもある。


子どもの誕生日には、出来る限り手紙を書くようにしている。

長女に渡す手紙に書いた内容を紹介する。


就職2年目になる長女は、仕事に遊びに充実した日々を送っている。

もう自立している状態なのだが、一緒に暮らしているので、家事全般は妻が担っている。


長女が出勤するとき、あそびに出かける時、就寝するとき、必ずと言っていいほど、リビングの机の上に、飲み切っていない自分のコップを置いていく。

これが、不思議で必ずだ。

必ず飲み切ってないし、必ず机の上に置きっぱなしになっている。

コップひとつぐらい、パッと洗えばいいものを、てか、飲み干したらいいのに。


注意はしないのだが、必ず少し残っているのも気になるし、なぜ机に置いたままにするのかも気になる。

あんまりいい気分ではない。



それが、気づいてしまったのです。

自分も長女と同じ行動をしたいという感情があることを。


大阪から富山に移動する朝。

自分の飲みさしのコップを片付けようとおもったとき、「片づけたくない、ちょっと残ってる感じでそのまま置いておきたい」って。


いや、なんか、寂しくなったのです。

自分に還る場所に、自分がいるという証を残したいという感情。

ここに戻るということと、少し残すということ。

 

なんか、これをキレイに片づけてしまうのって、ちょっと怖いという感じ。


その自分の感情に出逢ったとき、長女が残していくコップが、すごく愛らしく感じて。

長女の家族を想う気持ちや家への愛情を感じたんだよね。


なんかそれがすごくうれしくて。

うれしくなりすぎて、こんな手書きもらっても「はぁ」ってなるとおもったのだけど、勢いで書きました。


ひょっとして、コップを片づけなさいってことね、って思われそうなんだけど。



毎朝5時からエックハルト・トール「悟りをひらくと人生はシンプルで楽になる〜Power Of Now」 の音読会での気づき。







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