top of page

金閣寺のアク

血・育ち・教え



修身を学ぶ会富山

いままで、「血・育ち・教え」の講を読んだときに印象に残っていたのは、人間というのは、血と育ちと教えの3つから出来上がっているのだという大きな枠のところだった。

 

しかし、今回は全く違う視点からの気づきがあった。


血と育ちからくる「アク」に気づく、見えるのは、いつか。

振り返ると、ぼくにとって、妻と子どもたちからだということに気づかされた。

このことに気づいたことに驚きを隠せない。


自分を理解するには、相手がいて初めて理解できる。

常に相対的なものだ。


その最も自分を理解するための存在が、妻からの言葉であり、子どもたちからの声だ。


その声をどう受け止めるるか。

頭では受け止めているつもりでも、感情では素直に受け止めていない。

まだまだできていない。

いつの間にか、心の中、内なる声として、相手の言葉に対して反論しようとする言葉が生まれ始める。


この、放っておくて出てくる言葉なのか感情と、自分の血と育ちは、どんなふうに繋がっているのだろうか。

繋がっていることは確かだ。


内なる声としての反論の裏側にある景色は、子どものころの両親の生きる後ろ姿が見えてくる。

それは決して悪いイメージではない。

それが不思議なのだ。


「アク」とは、決してマイナスの出来事や感情だけを指すのではないということに思い至った。

 

常に相対的であること。

金閣寺があまりにも偉大で美しいからこそ、燃やしたくなる感情。

これは金閣寺にも「アク」があるということになるのかもしれない。

最新記事

すべて表示
諦める人生

修身を学ぶ会富山 第12講 「感想」を読んで 「自分の人生を真実に生きる」と本気で考える人は、一体どれくらいいるのだろうか。 これまでの人生を振り返ると、ぼくは何度も自分の人生をあきらめてきたように思う。 中学時代、落合信彦氏の本に出会い、夢中になって読み漁った。 本の中には、自分の足で世界を歩き、自らの人生を切り拓いていく生き方が描かれていた。ぼくはその生き方に強く共感した。 しかし、自分の進路

 
 
 
人生の深さ

修身を学ぶ会富山 第14講 人生の深さ 人生を深く生きる人は、身近に誰がいるだろうか。 そう考えたとき、真っ先に妻と子どもたちの顔が浮かんだ。 妻も4人の子どもたちも、誰かと比較することはできない。 一人ひとりが見ている世界も、感じていることも、向き合っている方向も違う。 それでも、それぞれが人生を深く生きていると感じる。 「世の中に繊細であること」 これは一見すると、生きづらさの象徴であり、世の

 
 
 
服装

修身を学ぶ会富山 第10講 肉体の護持 最近、妻から服装について注意されることが増えた。 なにも、立派な服やおしゃれな服を着てほしいということではない。 50歳を超え、それなりの経験と学びを重ねてきた中で、内なる人間的成長と服装の「周波数」を合わせてほしい、ということだと理解している。 服装以外にも、「魂を傷つけてはいけない」と注意される。 何かを我慢すること、本当に望んでいるものを諦めること。

 
 
 

コメント


bottom of page