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金閣寺のアク

血・育ち・教え



修身を学ぶ会富山

いままで、「血・育ち・教え」の講を読んだときに印象に残っていたのは、人間というのは、血と育ちと教えの3つから出来上がっているのだという大きな枠のところだった。

 

しかし、今回は全く違う視点からの気づきがあった。


血と育ちからくる「アク」に気づく、見えるのは、いつか。

振り返ると、ぼくにとって、妻と子どもたちからだということに気づかされた。

このことに気づいたことに驚きを隠せない。


自分を理解するには、相手がいて初めて理解できる。

常に相対的なものだ。


その最も自分を理解するための存在が、妻からの言葉であり、子どもたちからの声だ。


その声をどう受け止めるるか。

頭では受け止めているつもりでも、感情では素直に受け止めていない。

まだまだできていない。

いつの間にか、心の中、内なる声として、相手の言葉に対して反論しようとする言葉が生まれ始める。


この、放っておくて出てくる言葉なのか感情と、自分の血と育ちは、どんなふうに繋がっているのだろうか。

繋がっていることは確かだ。


内なる声としての反論の裏側にある景色は、子どものころの両親の生きる後ろ姿が見えてくる。

それは決して悪いイメージではない。

それが不思議なのだ。


「アク」とは、決してマイナスの出来事や感情だけを指すのではないということに思い至った。

 

常に相対的であること。

金閣寺があまりにも偉大で美しいからこそ、燃やしたくなる感情。

これは金閣寺にも「アク」があるということになるのかもしれない。

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