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執筆者の写真yamashina shigeru

集団的なエゴ

更新頻度を上げたくないと思いつつ、、、。

これは!というテーマが次から次へと続く。


あまりにも言い当てられていると感じ、すごく大事な箇所なにも関わらず、そこに線を引くことすら恐れを感じ、手が動かなかった。



ニュー・アース

エックハルト・トール 著


集団的なエゴ


エゴが不満足な自己から逃れる方法の一つは、集団に自分を同一化して、強く大きくなったつもりになることだ。

ときには報酬も名誉や栄達も求めず、集団の大きな目的のために生涯をささげ、個人的なエゴが完全に溶解したように見えることがある。個人的な自己というすさまじい重荷から解放されれば、さぞやせいせいするだろう。そういう集団のメンバーはどれほど仕事が大変でも、どれほど犠牲を払っても、満ち足りて幸せだと感じる。
彼らはエゴを超越しているように見える。問題は、ほんとうにエゴから解放されたのか、それともエゴが個人から集団にシフトしただけなのか、ということだ。

この文章は、まじでヤバイ。

実体験で考えると、チームスポーツの世界はまさにこれに当てはまるのではないか。

個の失敗を集団の問題に転化できる。

集団の成功を個の成功として受け取ることもできる。

子どものころからチームスポーツに親しんできたが、チームの中で働くことが才能を発揮しやすいと自覚していた。

これは集団に自分を同一化させて動くことが得意だっただけなのかもしれない。

自分の生命力の低さを露呈しないように、誰よりも集団と同一化をはかることで、チームの中でのポジションを確立していく。

これはぼくなりの生き残り戦略だ。




果たしてエゴが個から集団にシフトしたとき、エゴをどうコントロールすべきなのか。


集団的なエゴはふつう、集団を形成する個人よりも無意識度が高い。

この言葉も本当にそうだと思う。

個人よりも強い集団の無意識に対し、どう抗うことができるのだろうか。


個ではできないことを、集団になった瞬間にできる。

ある意味、この高揚感が、チームスポーツにはある。


 


このテーマは、今のぼくのど真ん中だ。

個々がど真ん中を生きることができる組織とは、一体どんな組織なのだろうか

この探究につながる。



ぼくらは集団になった途端、共通の信念、集団のパーパース、集団のビジョンを信じて動くことが正しいと思い込む節がある。

経営者は、多くの時間と多くのコストを使い、組織全体にひとつのビジョンを浸透させることに躍起だ。

しかし、それこそ思い込みなのではないか。

この思い込みの問題は、ぼくらが生きているこの時代だと、そのように振舞うほうが成果がでてしまうからだ。


成果がでるから正義だ

となってしまう。


ここにも大きな問題があるように思う。

「行動こそ大事」という理屈になってしまう。

 

しかし本当にそうだろうか。


啓かれた集団」という言葉で表現されているが、集団的なエゴを乗り越える組織のあり方を正直イメージすることができない。

イメージできないということは、自分の中に核心がないのだろう。



今、弓道に取り組んでいるのは、そういう意味でも大きな学びになっている。

自分の才能は何か。

チームスポーツの中でしか能力を発揮できないと思い込んでいたが、どうやらそれは間違った認識だったかもしれない。

目の前の取り組むべき課題の「要」はどこにあるのか

ここを直感的に見抜いていく

これがぼくの才能かもしれないと思えるようになった。


そういった個々の才能を活かしていく場をどう育むのか。

いろんなヒントを弓道場でいただいている。



▼小島さんとど真ん中エディットワークを作るときに語っているテーマにつながる。

「100年後の未来の人から見ると、ぼくらはとんでもない過ちを無意識に犯しているのではないか。そのひとつが、この集団的なエゴなのかもしれない」

という話。



閲覧数:47回1件のコメント

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1 Comment


accho.ichimura
May 23

話しズレてますでしょうか?

ズレてる気がしないでもない


コロナ禍のマスク着用率を世界各国見てみると、日本は(今でも)とても高いですよねー…


隣組とかもそうかもしれない…


災害時に秩序が保たれていることに外国人が驚いたり?(それは本当は誰が言ったのか?)


日本人は特にそういう、組織の中で動くことに対する親和性?高いのはなんでなんだろう?って前から思ってます。


よく言うジョークありますよね。

海で溺れている人を助けるときにする声掛け

アメリカ人には

ヒーローになれるぞ

英国人には

真摯になれるぞ

(途中忘れました)

日本人には

みんな飛び込んでるぞ


って…

それなら、

外国の企業で働くことを経験してみたら、個々が強く出ている組織経営が経験できるのかなーと思ったり。(いや実はアメリカでも企業や組織内では滅、個人的なのか?)


アメーバ的な?

多様性的な?

個々が勝手に良かれと思って動く組織って、そもそも存在できるのかなーと思ったり。


そもそも

リーダーの役割とは?


リーダーがいない組織

ってありますよね

たぶんどこかに?


雑多なことをいろいろ思いついて書きなぐっていくことをお許し下さいませ…


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