A NEW EARTH
二巡目 第2週 振り返り
古い生き方や相互関係、自然との関わりがうまくいかなくなり、根源的な危機が起こって、どうにも解決不可能と見える問題によって生存が脅かされると、個々の生命体、あるいは種は、死ぬか、絶滅するか、進化を飛躍によって置かれた条件の限界を乗り越える。
これが今の人類の立ち位置なんだと。
新たなものを発見していくという視点ではなく、思い込みの壁を破り、思い出していく。
自分が全体とつながっていること、すべての「他者」及び「生命の源(ソース)」と本質的に結びついていることをまったく認識できない。この結びつきを忘れること、それが原罪であり、苦しみであり妄想なのだ。
この本書の日本語版は発刊されたのは2008年。
ぼくが34歳のときだ。
2008年の世界はいったいどうだったのか。
メールの履歴で当時を振り返ってみた。
2008年1月
岡山での仕事を退職し、大阪に移動。
34歳、3人の子ども、貯金ゼロ、無職。
やることもなく、実家の仕事の手伝いは始める。
ヤマシナ印刷株式会社のHPのドメインを取得。
何か自分にできることで関わりをつくろうと動き出す。
2008年2月
機密文章が含まれる紙をリサイクルできないか。
リサーチをはじめる。
とやま古紙再生サークルに連絡。
2008年4月
たぶん、ぼくが会社に本格的に関与しはじめたことが引き金となり、会社を存続していくためにリストラをはじめる。
ということは、この時期に、人生を変える家族会議を開いたのだろう。
そのことで、大きな波紋を起こすことになり、会社にデザインができる人材がいなくなり、大混乱に。人材募集を始める。
同時に富山と大阪の二拠点生活を可能にするために、大阪のコワーキングスペースを探す。
もう大変だったとしかいいようがない時期。
2008年8月
グリーン電力証書を購入することで、グリーン電力で名刺を印刷しますというサービスを始める。
おやべローカルSNSを独自に立ち上げ、地域のコミュニティサイトの運営を始める。
仕事の本当の意味は何かを問いつづけ、「意味」から考えた地域とのつながりを結び直すことに必死となる。
2008年は、まさに死ぬか、進化を飛躍によって置かれた条件の限界を乗り越えるか。
悪戦苦闘していた1年だった。
言葉は発音されても、あるいは声にならず思考に留まっても、ほとんど催眠術のような力を及ぼす。言葉の前で人は簡単にわれを失い、何かに言葉を貼り付けたとたんに、まるで催眠術にかかったように、それがなんであるかを知ったと思い込む。
頭のなかの声。
その声は自分なのか、自分じゃないのか。
このタイミングで、渡辺康太郎氏の本「context design」を手に入れることができた。
これまで何度も買いたいと思ったことがあってamazon等で調べてことがあったのだけど、大手のネット通販では販売されておらず、購入するタイミングがずれていた。
いや~。まだ序文しか読んでないのだけど、もうこのタイミングで手にすることができたことに感謝したい。
ニューアースと似たテーマでありながら、全く違った切り口で捉え直し、すごく心躍るテーマとして紹介されてある。
コンテクストデザインは、「ともに」+「編む」+「デザイン」という意味。
人は誰も頭のなかの声で、いろんな創造をしている。
「内なる創造」
その内なる創造は、誰の頭のなかでも起きる。
それを頭のなかだけに留めずに、実際の世界で一歩踏み出すか踏み出さないか。内なる創造を人に話す話さないか。
ここにひとつ大きな壁がある。
それを「弱い文脈」と定義している。
妻との朝のランニングは、妻に、まさにこの「内なる創造」を聴いてもらう時間にもなっている。
内なる創造を話せる人がいること。これは素晴らしいことだ。
毎朝5時からの音読会も同じだろう。
弱い文脈は、大きな価値はないかもしれない。
でも弱い文脈が、誰かの呼び水となり、また違う「内なる創造」を生み出し、次の「弱い文脈」を世の中に産み落とす。
その中のいくつかが「強い文脈」となり、社会の当たり前として浸透していく。
この流れを感じていくと、世の中すべての人はクリエイターであり、「弱い文脈」は意味のないものではなく、それこそ世の中を新たにする力なんだと。
そして、この世界はすべて内なる創造が、何千年と紡いできた世界だともいえる。
今までにないものを発見するのではなく、あの感覚を思い出す世界。
「context design」
手術した目がまだ安定しておらず、文字を読むことにストレスはあるのだけど、年末年始味わいたいと思います。
Comments