不覚にも2度泣いてしまった。
ゴミ人間
西野亮廣
改めて思い出したことが2つ。
大学時代に交通事故で無くなったマネージャーのこと。
「やればできる」の本当の意味について。
だ。
大学4年間の想いの中で、マネージャーの突然の死を通して、掃除と死の理解について、自分の中で大切な意味となったことは確かだ。
命日の日は、掃除をして清める。掃除といっても部屋の中ではなく、グランドや公園といった外の掃除だ。
そして、あのとき感じた「死」について、死をどう解釈してこれからの人生に役立てるか。
この2つを真剣に考えていたことを思い出した。
今の自分があるのは、あのとき、お酒と音楽を聴きながら涙し、多くの学びがあったからだ。
そのときに出逢った「本」に大きな影響をいただいた。
影響といっても、これまで心の中で思ってきたことが間違えではなかったという確信に出逢ったのだ。
改めてそのことを思い出させてくれた。
もうひとつは「やればできる」。
これは以前、万人幸福の栞を読んだとき、また、「あり方で生きる 」(大久保寛司)の本を読んだ時にも強く感じたことだ。
視点、視座を変えるということだ。
「やればできる!」という言葉は、一体だれが使うのか。
もちろん、自分を鼓舞するために使う場合もあるだろう。
しかし、大半の場合は、誰かを応援するために使う言葉なのではないか。
やればできるよ、がんばれ、って。
この言葉の真意。
やればできるとは、本当に真実なのか。
夢を追いかけている人間が夢を実現することを頑張ることは当たり前だが、その夢を応援する「やればできる」と声をかけて本人が、そうなる未来を本気で作りにいく。
そして、相手にかけた言葉を本物にする未来をつかみにいく。
やればできると言葉を発した人自体が、本気になる言葉なのだと。
ここだ。
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