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執筆者の写真yamashina shigeru

民風

更新日:1月19日

修身を学ぶ会富山


第38講 小学教師の理想


まず思い浮かんだのは、親子論語塾の安岡先生の眼差しだ。

0歳から12歳ぐらいまでの子どもたちの前で、語りかけてくれている姿は、子どもたちの10年後、20年後、30年後を思い浮かべて語ってくれているのが、ガンガン伝わってくる。

その眼差しに会いたくて、通っているといっても過言ではない。

昨年末の論語塾は、末っ子が体調不良のため参加できなかった。

1月の論語塾はぜひ参加したいな。

 


今回、ぼくの心に留まったのは、「任務」という言葉だ。

 

小学校の先生は、師範卒業後数年で、もはやその進歩がとまると言われるのは、子どもたちを教えること以上に、自分の任務の存することに気づかぬからでしょう。


「任務」の意味を改めて調べてみた。

任務とは、組織やその一員として与えられ(分担し)て、果たさなくてはならない務め。

とある。


情報学者の安宅さんの言葉、グロービスの堀さんの言葉が浮かんできた。

正確ではないが、

・この時代に生を受け先進国と言われる国に住んでいる人は、もれなく、地球という惑星を残すために、何かしらの任務がある。

・個人としの座標軸、家庭人としての座標軸、組織人としての座標軸、日本人としての座標軸、アジア人としての座標軸、地球人としての座標軸をもつ。

 

そういったニュアンスの言葉を話されている。



修身教授録を振り返ると、森先生は、教師と生徒という奇跡的な「縁」への感謝を語り、人間として生まれたことの奇跡を語り、この国に生まれてきたことの奇跡を語り、その「生きている」ことの意味を深く理解するところから始めるよう促されている。


第1講 学年はじめの挨拶

第2講 人間と生まれて

第3講 生をこの国土にうけて

第4講 生を教育に求めて


人間として生まれ、生きている事実は、あまりにも当たり前すぎて、普段は考えることすらしないかもしれない。


そこに、好むと好まざると、任務のようなものがあり、もし任務に気づいたならば、民風を興すということの意味が深まるように思う。

ぼくは、まだまだそこには至れていないが。

 

民風とニュアンスが違うのかもしれないが、似たような言葉で「文化」がある。

文化は人の無意識の選択の連続の積み重ねで生まれるとすると、そこを変えていけるのも人になるのだろうな。



追記(1月19日)


任務と役割の違いについて


あくまでも個人的見解だが、

任務とは、主体者が自分であり、自ら気づき覚悟を決めて事に当たることのように思う。

役割または役目というのは、すでに決定されている事に責任を持つ。その決定自体も、天の意志ではなく、人が決めたこと。

そんな違いがあるように思う。


論語の章句を思い出した。


士は以って弘毅ならざるべからず。

任重くして道遠し。

仁以て己が任と為す。

また重からずや。

死してのち已む、また遠からずや。


高い理想を求める士は、心が広く、意志が強くなければならない。

なぜならば、その任務が重く、道は遥かに遠いからである。

任務の遂行には、仁の実践が伴わなければならない。

それは、なんと重いことであろう。

その責任は死ぬまで続けなければならない。

またなんと遠いことではないか。


自分がどんな立場になろうとも、目指すべき志があるのなら、思いやりの心を常に中心に置き、実践し続けなければならないのだと。それは死ぬまで続く。

言葉にすると、難しいように思わないかもしれないが、自分が大病を患う、困難に陥る、または逆に、人の上に立つような立場になる、老いる、といったあらゆる状況になろうとも、相手を思いやりそのための実践ができるのか。

 

そんな問いかけだ。


話が横道にズレたが、ぼくの好きな章句だ。

参照はこちら


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