万人幸福の栞より
物はこれを愛する人によって産み出され、これを大切にする人のために働き、これを生かす人に集まってくる。すべて生きているからである。
「物は生きている」
この言葉から始まる章だ。
生命とは何か?
これを問いかけてきているのだろう。
人類はこの問いに対して、天才たちが何百年、または千年以上にわたり議論してきたのだろう。
生物学者、哲学者たちが現代たどり着いた答えが「分からない」ということらしい。
つまり、生物と無生物を分ける境界線が、あまりにも曖昧であり、科学が発達することでさらに特別は生物の特徴が発見され、常に曖昧さを残すことになっている。生物と無生物を厳密に分けることができないのだ。
幼少のころから生命については、とても興味があった。手塚治虫の「火の鳥」の影響なのかもしれない。
「物は生きている」
このテーマに戻そう。
物が生きていることが前提で考えた場合、相反する2つの視点がある気がする。
①物を作ったのは人間なのだとしたら、人間は物に命を与える力を持っている特別な存在だということになる。
「職人が物に命を吹き込む」という表現があるように。
目に見える物だけを見るのではなく、誰がいつどんな理由でその物を作ったのかという物語も含めて見るという考えだ。
②人間の介在関係なく、はじめから物には命が宿っているという考え。
神道、八百万の神々の世界だ。
「机に座ったらダメですよ、机の神様が怒るよ。」という表現だ。
つまり、人と物を区別することなく、あらゆるすべてのものには命があり神が宿るという世界観だ。
これは、日本特有の感性ではなく、大小あれど、世界中のモノづくりの現場にもあるのではないか。
ただ、日本の中の職人やモノづくりの現場では、これまでは①②を常に深く理解した個人や組織が同業者の中でも尊敬され、社会の中でも認められる存在だったのではないか。
それは、そうだろう。
①②を重んじることで何が起きるか。
職人のプライド、職人の社会的地位の向上、モノを大切にすることでの現場の安全性、技術や歴史の継承、組織への忠誠心といった、生産性の向上のために必要なソフト面のベースを支えることになることは、容易に想像できる。
難しそうなコミュニケーションスキルやリーダシップ論やチームワーク論がなくとも、この①②を深く理解しあう組織であれば、自然と現場の統一がなされていくのではないか。
それが日本のモノづくりの強さにつながったのかもしれない。
大量生産できる技術だけを考えれば、国が変わろうが、頭の中で何を考えていようが関係なく、均一な物を大量につくることが可能だ。
しかし、同じ大量生産できる技術を持ちつつも、①と②の意識をもった人間が関わることで、常に改善が進み、価値あるものが生み出されてきたのだろう。
それが日本のモノづくりの強さだったのではないか。
これは、あくまでもぼくの予想の範囲を越えない仮説でしかない。
それでも大方間違いでもない気はしている。
それを踏まえた上で、最初に紹介した文章をもう一度見てもらいたい。
物はこれを愛する人によって産み出され、これを大切にする人のために働き、これを生かす人に集まってくる。すべて生きているからである。
この文章で重要なのは、最初だ。
「物はこれを愛する人によって産み出され」
ぼくらが普段物を買う時にどんな視点で選べばいいのか。
それは、値段や性能は同じだとしても、どちらがこの物を愛する人によって産み出されたものなのか?
この問いかけで物を選ぶ。
それが物作りの現場に元気を与え、応援することにつながる。
それがいわゆるブランド力なのだろう。
同時に、もうひとつの問いも必要だ。
自分たちが産み出す物をどれだけ愛することができているか?
この2つの問いを大切にして、仕事に向き合うことが重要だということだ。
物は生きているのだ。
慮る、思いやりの心と、常に身体を整えておく大切さ
比較の世界からの脱却と本物の覚悟とは
失敗を許容する社会とレジリエンス力の必要性
志を抱くこと、実現するために歴史や古典を学ぶ大切さ
お互いが日に新たであることが、幸福と平和と繁栄をもたらす
名優から主役へかけ上がるために大切な「友」や「師」
素直な心で、外側と内側の2つの視点を同時に見つめる
正しさの追求と循環力が未来を生み出す
愛と命と仕事の関係、仕事の尊さを悟る
どちらが物を愛する人によって産み出されたものなのか
あなたにとって成功とは何か、あなの仕事は何か
今ここから始める実践を
人間はあらゆる生きものたちと、共に生きる力
五感の引き出しを増やすことが、信念の力を高める
あなたにとって働くとは、仕事とは、その定義からはじめる
本当の主役とは一体どういうことであるのか。
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