万人幸福の栞より
昔の人は死を重んじ、りっぱな死に方をしたいと念じた。正しく生きた人でないと、美しい死に方はできぬ。見事な死にようをした人は、見事な一生を貫いた人である。
最後の一文だ。
この章は、前半部分は「本を忘れず」の「本」とは何か?
つまり、両親、ご先祖さま、日本民族としての血、命の「本」について語られている。
後半部分が上記の内容だ。
始末を丁寧にする。仕事、料理、生活のあらゆる面の話だ。
その最終的なカタチが死であり、死をどう迎えるかということを伝えている。
この2つはどう繋がりあっているのか。
①両親を大切にすることと
②自分の死にざま
この2つの共通点は何なのか。
「本」が両親やご先祖さまだということ、自分の命はどこから来たのか、そして命あることに感謝するということはわかる。
では、「末を乱さず」の「未」とは何か?
実は「未来」のことではないのか。
しかも、自分が死んだあとの未来だ。
人が評価されるのはいつか。
人がもっとも社会のために貢献できるのはいつか。
それは死んだ後だと言われている。
肉体を維持するための負担がいらないからだ。
肉体が滅んだあとに、どんな言葉を残せるか、自分の捨石としての役目が次世代にどんな影響を与えることができるか。
それこそ最大のボランティアであり功績となる。
これは、決して名を残すことが大事だとは言っていない。
逆にいうと生きている間の評価は、さほど重要ではないということだ。
どんな生き様だったか、どんな背中を見せることができたのか。
そこが重要となる。
もうひとつ。
死にざまだ。
上記の文章では「正しく生きた人でないと、美しい死に方はできない」と書かれてある。
結局、死にざまとは、生き様ということだ。
ど真ん中名刺で紹介しているぼくの大好きな言葉がある。
「過去は前方に、未来は背後に」
この言葉だ。
普通であれば、過去が背後で未来が前方のはずだ。
しかし逆なのだ。
つまり、今目の前にある実践すべきことは確実にやる。であれば前方にあることはもう過去だと。未来は、自分の先にあるのではなく、確実に実践を繰り返す人間の背中、その背中に人が感化され、未来ができる。つまり、未来は背後なのだ。
では今はどこにある?
今とは、実践の只中にあるということだ。
ここまで書いてきて、最初の問いに戻る。
ご先祖さまを大切にするという「本」を大切にして、「未」来を乱さない生き方。
そして死にざまとは、正しく生きたかどうかの生き様だということ。
この2つの共通点はどこにあるかだ。
つまり、この章のタイトルには続きがあるということだ。
「本を忘れず、末を乱さず、今を生きろ」
ということだろう。
「本を忘れず、末を乱さず、脚下の実践を」
こういうことだ。
ご先祖様が大事とか、終活が大事とか、そんな平凡なことを伝えてくれているわけではない。それは基本として当たり前として生きろと。
その上で、最も大切なのは、今ここから始める実践だということだ。
慮る、思いやりの心と、常に身体を整えておく大切さ
比較の世界からの脱却と本物の覚悟とは
失敗を許容する社会とレジリエンス力の必要性
志を抱くこと、実現するために歴史や古典を学ぶ大切さ
お互いが日に新たであることが、幸福と平和と繁栄をもたらす
名優から主役へかけ上がるために大切な「友」や「師」
素直な心で、外側と内側の2つの視点を同時に見つめる
正しさの追求と循環力が未来を生み出す
愛と命と仕事の関係、仕事の尊さを悟る
どちらが物を愛する人によって産み出されたものなのか
あなたにとって成功とは何か、あなの仕事は何か
今ここから始める実践を
人間はあらゆる生きものたちと、共に生きる力
五感の引き出しを増やすことが、信念の力を高める
あなたにとって働くとは、仕事とは、その定義からはじめる
本当の主役とは一体どういうことであるのか。
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