万人幸福の栞より
生命に生きぬくその門は、狭い、入りにくい、又苦しい、痛い、みにくい。それがひどければひどいだけ、しっかりと足をふみしめて、門のとびらを強くおし開こう。
苦難は幸福に入る狭い門である。
ここでひとつの疑問が生まれた。
なぜ、苦難は幸福に入る門ではなく、苦難は幸福に入る「狭い」門であるのか。
ここで伝えている「狭い」とは、どんな意味があるのかだ。
なぜ、狭い必要があるのかー。
広くてはダメなのか。
Enter ye in at the strait gate.
苦難が狭い門なのではなく、狭い門こそ幸福の門であり、それは見方によれば苦難の門に見えるだけということなのではないか。
そう考えると、ひとつ、森信三先生の言葉を思い出した。
99人が、川の向こう岸で騒いでいようとも、自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、わき眼もふらず川上に向って歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい。
なんとも情景が浮かぶ言葉だ。
川向うで自分以外のクラス全員がBBQをして楽しんでいる。その対岸で、楽しんでいることに一切見向きもせず、川上へ歩む。
川上への道は狭く、険しくなっていくことだろう。
危険な一人旅だ。
川下へ道であれば、少しずつ広くなり平和で豊かな平野が広がるはずなのに…。
幼少のころ、ぼくにはそんな勇気はなかった。
しかし、そういった行動を示す同級生が確かにいた。そして、憧れていたことを思い出す。
では幸福とは何か?
幸福の道とは、自分が決めた道。
比較から生まれる幸福ではなく、ど真ん中を歩む道ということになるのだろう。
その道を歩む覚悟こそ、ひとり川上へ歩む道の覚悟ということなのだろう。
そう解釈してくると、狭い門という「狭い」の意味の世界が見えてくる。
前回は、慮る、思いやりの心と、常に身体を整えておく大切さの話。
今回は、比較の世界からの脱却と覚悟の話ということになる。
慮る、思いやりの心と、常に身体を整えておく大切さ
比較の世界からの脱却と本物の覚悟とは
失敗を許容する社会とレジリエンス力の必要性
志を抱くこと、実現するために歴史や古典を学ぶ大切さ
お互いが日に新たであることが、幸福と平和と繁栄をもたらす
名優から主役へかけ上がるために大切な「友」や「師」
素直な心で、外側と内側の2つの視点を同時に見つめる
正しさの追求と循環力が未来を生み出す
愛と命と仕事の関係、仕事の尊さを悟る
どちらが物を愛する人によって産み出されたものなのか
あなたにとって成功とは何か、あなの仕事は何か
今ここから始める実践を
人間はあらゆる生きものたちと、共に生きる力
五感の引き出しを増やすことが、信念の力を高める
あなたにとって働くとは、仕事とは、その定義からはじめる
本当の主役とは一体どういうことであるのか。
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