世の中を正しく見る習慣
君子の天下に於けるや、 適も無く、莫も無し。 義にこれ与にしたがう。 君子が天下のことを行うときには、必ずこうしようと固執しない、 また絶対にこれはしないと頑なになることもない。 常に正しい道に従うのみである。 (「実践・論語塾」安岡定子著)...
二つの間にあるものは?
君子は上達し 小人は下達す 君子はより高いものを求めて向上し、 小人は反対に程度の低いものを求めて堕落してしまう。 (「実践・論語塾」安岡定子著) はじめてこの章句と出逢ったとき、すごい衝撃を感じた。 上達と下達、この二種類。 現状維持はないということだ。...
一人か、仲間か
君子は文を以って友を会し、 友を以って仁を輔く。 君子とは学ぶために仲間を集め、その友人のおかげで、仁の徳を磨くことができるのだ。 (「実践・論語塾」安岡定子著) 志を抱いたのであれば、学び続けなければならない。 では、学ぶのはひとりで効率的に学ぶことがいいのか、それとも仲...
オンラインサロン?
与に言うべくして、之と言わざれば、人を失う。 与に言うべからずして、之と言えば、言を失う。 知者は人を失わず、また言を失わず。 語り合う価値のある人に、遠慮して話しかけないのは、大切な交友の場を失うことになる。反対に語り合う価値のない人と会話をすれば、失言することになる。...
奪われることは決してない
三軍も帥を奪うべきなり。 匹夫も志を奪うべからざるなり。 大軍であったとしても、その総大将を奪おうと思えば奪える。 それは人が守っているからである。 たとえ一人の男でも、その志は奪うことはできない。 男の心の中にあるからだ。 (「実践・論語塾」安岡定子著) まず志を抱く。...
人はいかに生きるべきか
朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり 一度聞くと忘れられないインパクトのある章句だ。 それは「死」という言葉が使われているということと、朝と夕という短い時間の中の物語であるということだろう。 朝、人はいかに生きるべきかを知ることができれば、その日の夕方に死んでもかまわない。...
捨欲即大欲
「欲を捨てる」ということは いまだ理解できているとは言えないが 仏教や禅の思想に、数年前から興味を持っている。 日頃から何となく〝欲〟に対して、意識するようになっている。 私の中で欲を捨てることは、「感謝できる自分になる」ことや...
人と禽獣と異なるゆえん
この世に生を受け、さらに〝人〟として 命を与えられたことへの真の感謝をまず持つこと。 そして〝人〟として生を受けたのならば 〝人〟である根拠を明確に把握することが 何よりも大切であり、 スタートラインなのだということ。 いつものことながら、正直これまでの人生の中でほとんど...
尚友
「尚友」 初めて耳にする言葉でした。 尊敬できる友人ということだけでなく、 同じ師を持ち、同じ道を求めていく 「同志」ということまで含めているということです。 まずは、師とすべき人にめぐりあうために 真の道を求め続けていくことから始めないといけません。...
親子の敬
敬とは何か? これまでの人生で、そこに疑問をもったり、そのような問いを考えたことすらなかった。 敬とは、自分より優れたもの一切を受け入れてこれを吸収し、その一切を奪い取って超えていこうとする強力な生命力である。 敬には、そういった意味がある。...
尚友
友を尚(たっと)ぶという言葉 尚(たっと)ぶとは 「請い願う」「希望する」「頼む」 また尊敬やリスペクトする などという意味を含む言葉だそうだ。 ここでいう 友の意味するところは 同じ志を持って先を行く者であり 人生においての師、先達者、同朋である。...
礼
学校生活のことを思い出すと、朝の挨拶、授業開始の礼、終わるときの礼、…常に「礼」がある。 そして、「礼」について常に先生方は生徒に注意していた記憶がある。 学校で先生が怒る一番の理由は「礼」ができていないことなのではないか。 でも、なぜ「礼」が大切であるのか。...
個人が通貨を発行する時代
「どんな職能をお持ちなのですか?」 「何をしていきたいとお考えですか?」 「それでしたら、ちょうどそんな人材を探してたところなのです」 「いや、むしろあなたがやりたいと思っている活動のお力になれるかもしれません」 「よければ一緒に活動しませんか?」...
真面目
子どものころ、「真面目だね」とよく言われた。 その言葉は、決して誉め言葉ではなく、ちょっと嫌味を含んだ感じ。 振り返ると、子供の頃は真面目であるということは、恥ずかしいことだ。 そんな感情があったことも確かだ。 それでも、自分は真面目に授業を受け、先生の言うことに従った。...