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使命の道

「われわれ人間の価値は、その人がこの二度とない人生の意義をいか ほどまで自覚するか、その自覚の深さに比例すると言っても良いで しょう」 何のために 誰のために 真の志を立てることで 進むべき道が見えてくる 二度とない人生においての 自身の命の使い方を自覚できる。 そして...

人か道か

人能く道を弘む。 道、人を弘むるにあらず。 人こそ、理想の道を広めることができるのだ。 道が人を広めるのではない。 (「実践・論語塾」安岡定子著) この章句に出逢ったときの感動は忘れられない。 そうか!結局は人なのだ。 けれども、世の中を見渡せば、道を示して人を呼び込みビジ...

任務

士は以って弘毅ならざるべからず。 任重くして道遠し。 仁以て己が任と為す。 また重からずや。 死してのち已む、また遠からずや。 高い理想を求める士は、心が広く、意志が強くなければならない。 その任務が重く、道は遥かに遠いからである。...

世の中を正しく見る習慣

君子の天下に於けるや、 適も無く、莫も無し。 義にこれ与にしたがう。 君子が天下のことを行うときには、必ずこうしようと固執しない、 また絶対にこれはしないと頑なになることもない。 常に正しい道に従うのみである。 (「実践・論語塾」安岡定子著)...

二つの間にあるものは?

君子は上達し 小人は下達す 君子はより高いものを求めて向上し、 小人は反対に程度の低いものを求めて堕落してしまう。 (「実践・論語塾」安岡定子著) はじめてこの章句と出逢ったとき、すごい衝撃を感じた。 上達と下達、この二種類。 現状維持はないということだ。...

一人か、仲間か

君子は文を以って友を会し、 友を以って仁を輔く。 君子とは学ぶために仲間を集め、その友人のおかげで、仁の徳を磨くことができるのだ。 (「実践・論語塾」安岡定子著) 志を抱いたのであれば、学び続けなければならない。 では、学ぶのはひとりで効率的に学ぶことがいいのか、それとも仲...

オンラインサロン?

与に言うべくして、之と言わざれば、人を失う。 与に言うべからずして、之と言えば、言を失う。 知者は人を失わず、また言を失わず。 語り合う価値のある人に、遠慮して話しかけないのは、大切な交友の場を失うことになる。反対に語り合う価値のない人と会話をすれば、失言することになる。...

奪われることは決してない

三軍も帥を奪うべきなり。 匹夫も志を奪うべからざるなり。 大軍であったとしても、その総大将を奪おうと思えば奪える。 それは人が守っているからである。 たとえ一人の男でも、その志は奪うことはできない。 男の心の中にあるからだ。 (「実践・論語塾」安岡定子著) まず志を抱く。...

人はいかに生きるべきか

朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり 一度聞くと忘れられないインパクトのある章句だ。 それは「死」という言葉が使われているということと、朝と夕という短い時間の中の物語であるということだろう。 朝、人はいかに生きるべきかを知ることができれば、その日の夕方に死んでもかまわない。...

捨欲即大欲

「欲を捨てる」ということは いまだ理解できているとは言えないが 仏教や禅の思想に、数年前から興味を持っている。 日頃から何となく〝欲〟に対して、意識するようになっている。 私の中で欲を捨てることは、「感謝できる自分になる」ことや...

人と禽獣と異なるゆえん

この世に生を受け、さらに〝人〟として 命を与えられたことへの真の感謝をまず持つこと。 そして〝人〟として生を受けたのならば 〝人〟である根拠を明確に把握することが 何よりも大切であり、 スタートラインなのだということ。 いつものことながら、正直これまでの人生の中でほとんど...

尚友

「尚友」 初めて耳にする言葉でした。 尊敬できる友人ということだけでなく、 同じ師を持ち、同じ道を求めていく 「同志」ということまで含めているということです。 まずは、師とすべき人にめぐりあうために 真の道を求め続けていくことから始めないといけません。...

親子の敬

敬とは何か? これまでの人生で、そこに疑問をもったり、そのような問いを考えたことすらなかった。 敬とは、自分より優れたもの一切を受け入れてこれを吸収し、その一切を奪い取って超えていこうとする強力な生命力である。 敬には、そういった意味がある。...

尚友

友を尚(たっと)ぶという言葉 尚(たっと)ぶとは 「請い願う」「希望する」「頼む」 また尊敬やリスペクトする などという意味を含む言葉だそうだ。 ここでいう 友の意味するところは 同じ志を持って先を行く者であり 人生においての師、先達者、同朋である。...

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